ゼネラルボンドとは

社長インタビュー

会社設立から52年。商品の製造・販売から補修・補強工事へ

――会社の設立はいつになるのでしょうか?

DSC027220014.jpg創業は昭和32年ですが、会社の創立は昭和33年の3月です。 創業したのは私の父で、私が3代目になります。

――どんなお父さまだったのですか?

「私の父は商業高校~薬科大学に進学しました。当時、このルートの進学は前例がなかったそうです。卒業後、製薬会社~接着剤メーカーを経て、27歳で独立しました。 今から思えばいろいろと苦労は多かったでしょうが、とても強くて頼もしく、優しい父であり、私の前では弱いところを全く見せませんでした。その分、母は大変厳しかったですが(笑)。」 また、常に人より先のことを考えていて、なかなか理解してもらえなかった一面もあったように思います。 しかしながら、そのような基盤があったからこそ今があり、とても感謝しています。

――その頃の取引先はどういったところが多かったのでしょうか?

「接着剤メーカーとしてスタートし、自動車をはじめとする製造メーカーのお客様が多かったと聞いております。 その中で、東京オリンピックが大きな岐路になったようです。オリンピックに向けて社会資本整備が急速に進む中、大学やゼネコンの研究所などからの依頼・ご支援により、建設業界へとシフトしていきました。 その中で生まれた商品には、『ウォーターストップ』というのがあります。その名の通り、水を止めるために開発したもので、これは国産第一号の急結セメントです。トンネルやビルの地下工事など幅広い建設現場で需要があり、製造が間に合わず、配送が夜中になることもあったようです。

――他にはどんな商品があったのでしょうか?

「昭和43年には、水中で固まる接着剤を売り出しました。ダイバーが海中で作業する際にも使われたのですが、これは世界初の製品ということもあって、大変注目されました。

――商品の製造から補修工事へと業務が移行したのはなぜでしょうか?

「商品の開発と販売だけではなく、その後、自社の商品がどのように使われているのか強い興味を持っていたことと、お客様からの要望もあったのでしょう。そこから自然と、仕事の比率も工事の方が大きくなっていきました。工事だけではなく、製造もできるというのが、その頃ひとつの強味になっていたのかもしれません。 その時代というのは、作ったものはすべて建設会社の責任という考え方が強く、何か問題が起こるとすぐに施工者の責任にされたようです。問題が起こる時というのは、施工だけでなく、材料の問題やその他の自然要因と言ったものが絶対的に存在していると思います。しかし当時、新しく造った建設物は半永久的という考え方が支配しており、そういった劣化要因についての専門家というのが少なかったのですね。 その後も工事の需要の方が増えたこともあり、平成10年に製造部門はクローズすることにしました」


父の死を乗り越え、母の後継として社長に就任

――後藤さんが社長に就任することになった経緯をお教えください。

DSC027210013.jpg「平成2年、突然、父が心不全で他界しました。その時、社長が父から母に代わりました。父はワンマン社長でしたので、父から母に社長が代わったことを機に社を去る人もいました。それはつまり、家族の私たちを含め、社員の誰も父がいなくなる心の準備というのができていなかったわけです。それでも大変な20世紀最後の10年、会社を支えてくれた社員の皆さん及び2代目社長に大変感謝しています。 そして平成12年(2000年7月)、私が社長に、母は会長に就任しました」

――仕事をするうえで心がけていることは何でしょうか?

「私達にとって、建物をはじめとする社会資本は毎日の生活そのものです。今後新設が少なくなる一方で、今あるものを末永く大切に使っていく傾向がますます強くなっていきます。しかしながら、関心は高まっているものの、一般のユーザーの方からすると、意外と情報が不足していて、誰にどのように相談したら良いのか分からない、いう声を多く聴きます。 そういったニーズに対して私たちは応えていきたいと考えています。一般のユーザーの方が抱く不安や疑問をしっかりと解消しながら、信頼されるパートナーとしての関係を築いていく、当たり前のようですが、最近それがとても大切なことだと改めて思います。

――会社を経営するうえで大切にしていることは何でしょうか?

「何がいちばん大切か。会社の永続です。目的や価値観を共にする社員及びその家族が幸せであるということ。そしてその環境をつくっていきたいと思います。社員が生き生きと働くことのできる環境があってこそ、永きにわたってお客様の本当のお役に立てると考えます。と同時に、今のように環境の変化が激しい時代においては、一人一人の成長と変化に対応できる柔軟な思考が欠かせません。そのためにも人材の育成が重要です。 弊社ではノルマといったものは設けていません。もちろん数字が気にならないわけではありませんが。それは"ノルマ"というものが、社員に良い影響を与えるシステムではないと弊社が考えているからです。これは創業以来続くひとつの伝統でもあります。 このように伝統は大切にしながらも、変えるべきことには柔軟に対応できる、しなやかで強い会社にしたいと思います。

――会社のある目黒区とは、どのように関わっているのでしょうか?

「会社が目黒に移転したのは昭和42年です。会社というのは、ただあるだけではなく、あくまで地域の中に存在しているものだと存じます。特に最近は、目に見えない繋がりや支えを強く感じています。公共事業はもとより、様々な交流会でも大変お世話になっており、感謝致しております。それでもまだまだ、地元でも弊社を知らない方は多くいらっしゃいます。まずはみなさまに弊社のことをもっと知って欲しいと願っております。 話は変わりますが、たとえば家を建てたお客さまともっとも長く関われるのは、家を建てた建設会社や工務店さんだと思います。生むところから携わる分、やはりお客さまの思いをすべて知っているわけです。私たちは"直す"ことが主体の仕事をしているため、その思いに途中から参加することになるわけです。しかしながら、維持管理は竣工したその日から始まり、どの時点からご相談を受けても、とても永いお付き合いになります。よりお客さまのニーズに丁寧にきめ細かく対応できるように地域に密着していく所存です。 そこには建物とだけではなく、人とどこまでも真剣に、いつまでも真摯に向き合っていきたいという、私たちの思いがあります」